もりわじん絵日記 2003. 1
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1月31日 (金)  [443] 過去

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晴れだけど寒い。
今日は昨日のインニャンが至福猫にふさわしくできてこんとん祭に向かって順調、よし、やるぞ〜と油土を用意し南の神様の原型作りをペタペタバンバンガンガンやる。
南の神様だからと南国ムードの猫にしようと思ったのだが、なかなかタヒチ、ジャマイカ、バリ、インド、アフリカ、ウ〜アッの猫にならず、ア"—‥
なんとなく耳つけて目の輪郭を描いて、一服、ブルマンのコーヒーぐいと飲んだら、なんとブルマンがうまい!
と、南の神様のイメージが沸々、よし、いける!
しかしこの寒い季節に南国ってのがとんちんかんなので、これを真夏に作ればいいのではなかろうか?
夏だったら油土も柔らかいし、楽にペタペタできるもの‥
などと逃げてもしょうがない。
心頭滅却すれば、真冬も常夏‥なんてね。
夕方過去から電話があったもんで、頭がうねった。
20年ぐらい前に、いっしょにアート活動でパフォーマンスとやらをやっていた時代の仲間だ。
その後連絡も切れどうしてたか知らんが、ワシが招き猫を作っているのをどっかで知り、仕事の話しだった‥いい仕事になればいいな。
懐かしいのに懐かしい話しもしないで電話は終わった。
受話器を置いてしばらく吐きそうな気分になって粘土いじりができなかった。
過去というのは変だ。
前に、渋谷の街歩いていて中学の同級生を見つけた時なんか、思わず隠れてズ〜ッと観察してたもん。
ずいぶん前、何十年かぶりに同級生が尋ねてきた時も、いきなり殴りに来たのかと思ったぐらいハラハラドキドキ。
‥何でわざわざ会いに来るのだろう?
別にアイツに悪いことはしてないと思うのだが心の中は解らん。
傷つけたっけ?狂わしたっけ?
その逆に感謝しに来るのだろうか?。
それとも照れるから、なるべく会いたくないのだろうか?
思い出を思い出す切なさがイヤなのだろうか?
思い出が壊れてゆくのがイヤなのだろうか?
過去は死んだもの捨てたもの流れるものだから、それに捕われたくないのだろうか?
ワシ、田舎帰っても偶然でもない限り一切知人と会おうとしないものなあ〜
なんだろうね?


1月30日 (木)  [442] インニャン

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寒い。
水鉢の水も凍ってメダカも動きません。
トマトの枝を高く伸ばすため、目の前の丘から2メートルぐらいの竹を10本程拾う。
今日はこんとん祭用のシンボルマークを考え描く。
渾沌さんは目鼻耳口のない何もない神様だが、僕が作った猫の渾沌神は目などがないのはもちろん全体が白色と黒色の配色をしている。
この白黒模様は易の太極図からの引用で、この図は陰陽(インヤン)と云って、今では平和マークとして広く普及している。
世界を陰と陽で眺める。
陽は、白、攻撃、能動、興奮、男、明、火、昼‥
陰は、黒、防御、受動、冷静、女、暗、水、夜‥
また物だけでなく動きとして、陽が前進・右回り・上方などで、陰が後退・左回り・下方など。
しかし、そうカチッと決められるわけではなく、陽は陰を含んでいて、陰は陽を含んでいる。
周りとの関係性、時と所によって変化してしまうのである。
例えば、昼の太陽の下ではローソクは陰であるが、夜のローソクは陽なのである。
日中女性は静かに陰であるが、夜になると女は陽になって男を食う‥なんてね。
この陰と陽が抱き合って愛し愛され自分も相手もいなくなりぐちゃぐちゃにこんがらかって渾沌としているのがこのインヤン太極図なのである‥至福の極地でもある。
お見事、美しいデザインです。
いったいだれがいつ頃考案したのだろうか?
渾沌神猫の毛並み模様は、この白黒反対のものが混じり心地よく解け合う感じを出したわけですね。
それで今日描いたシンボルマークだが、インヤンの図に耳つけて猫にし名前をインニャンとした。
何のことはない簡単なものなのだが、いろいろあ〜だこ〜だと何度も描き直し一日かかってしまった‥シンプルの中に複雑さがある。
‥猫はすばっしこく行動的だが、とてもしなやかで自由、日なたが好き。
猫は太極図そのものであるなぁ〜‥4/29(至福)にバッチシじゃん。


1月29日 (水)  [441] 空気=スカイハイ

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なんか、はっきりしない天気だな。
晴れてる?寒い、曇り?風ぴゅーぴゅー。
とっても眠い。
目がしばしばする。
この陽気のせいか?
それとも、昨日こんとん祭用の渾沌さんと南北の神様の小型版をのせる陶板のデザインをしたからだろうか?
1/10に天まで昇っているハスの花のデザインをしたのだが、印刷するのにずいぶんお金がかかるといわれ、止めよかなぁ〜、それでもやっちゃえと思ったが、よくよく考えてみると、内心半分気が滅入りながら描いた絵だから、これは止めた方がいいぞ〜という合図かもしれない。
それで、もっと自分に素直になって描こうと、面倒なことは当然なのだが、気を使わないで気楽にできる絵を描いたのだ。
何描いても作っても感じるのだが、うまく描こうと気を張り過ぎてつらい気分で描いたものや作ったものは、後々あんまし良くない。
だから気分よく描けて終わっても気分爽快の今回のがいい楽しい。
スカイダイビングしてるような猫達、この雲の上に渾沌さんと南北の神様の陶人形が乗るわけですな。
この絵のように気分爽快に広がって欲しいもんですよ。
‥あんまし余計な気を使わずにね。
今回のデザイン同様、生きてること自体も瞬間瞬間隅々まで気の向く流れにそって運ぶように気を配ってないとね。
気疲れして成功してもつまらん。
気苦しいことして裕福になってもつまらん。
気分滅入ることして偉くなってもつまらん。
気に入らないことやって名前が出てもつまらん。
気が迷ってお金持ちなってもつまらん。
気を使って笑ってもつまらん。
成功や裕福や名声などは、全て、晴れてない気が求めるものです。
それで手に入れた成功などは、晴れてない曇りの分子が入っているものです。
それではほんとうの成功ではありません。
さあ、気ままに線を引こう、たとえ歪んでも‥


1月28日 (火)  [440] 猫ひな風呂

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いや〜天気いいっす。
春一番のちょっと手前の風が吹いている感じ。
メダカも元気に泳いでいます。
ローバイの花もやっと一輪だけなんとなく咲きました。
この花は梅の中でもずいぶん先に咲く花で、黄色いローソクのローのような作り物みたいな花。
一月の始め頃から咲き始めすごい香りを放っているから道歩いていてもすぐ解る。
見つけたら花に鼻を近づけ香ってみて下さい。
すごい気持ちよくなりますよ‥ワシだけだろうか?
ワシ、この花好きだから庭にいっぱい植えようと思ったが、他の梅と違ってイマイチ樹形に魅力がない‥一本でいいや。
でも、一応散歩してて他の家で見つけた立派な木から種を勝手にいただいてきたから春になったら鉢植えにしようと思うのだ。
いつか、ローバイの花いっぱい咲いた鉢植えをテーブルに置き、この花の香りを嗅ぎながらコーヒーでも飲むのだ。
ア〜気持ち良さそう〜‥匂いが混じって良くないかな?
昼過ぎバンさんから電話があり、こんとん祭に谷中のギャラリー猫町の近所にあるお洒落なギャラリーKingyoさんもいっしょに展らん会できるかも、とのこと。
ギャラリーふくふく猫も含めれば、三元展になる。
北の神と南の神と中央の神‥
ん〜なんかこんとん祭がふくらみそうな感じで嬉しい。
それにしても、いったいどのようにしたらいいのだろう?
頭の中が、あ〜しようかな?こ〜しようかな?あ〜じゃない、こ〜じゃない‥
あ"〜ダメだ、風呂屋に行こう。
ということで、風呂入れば大抵解決するのだが、ボーッとしちゃって何も思い付かん。
帰りラーメン食いながら考えたが、頭ごちゃごちゃして混乱して渾沌として‥?‥ん!なる程、そうだ、こんとん祭だから渾沌でいいんじゃん‥なんてね。
絵は、猫町のひな祭り展に出す『猫ひな風呂』です。


1月27日 (月)  [439] 知識

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昨日しんさんに、子供の頃、ウンコ持ち歩いてた話しをしていて気付いた。
ウンコってのは、栄養吸い取られていらなくなったカスで、身体の中にズ〜ッとたまっていたら具合悪くなるもの。
だから気張って外に出しすっきりハッピー。
知識というものも、ウンコと同じ。
生活に必要な時にちゃんと使って、あとはいちいち思い出してくよくよくだくだグチグチ言わないで捨てちゃってスッキリしなけりゃ。
知識に左右されるということは過去の記憶や思いをいつまでも頭の中に心の中にしまっておいてこだわること。
これではウンコしない便秘と同様、頭も心も具合悪くなって、しまいに知識は頭の中にこびりついちゃって醗酵して恨み、ガスたまって被害妄想、良くない考えに変化し癌、戦争になってしまう。
大人は過去の知識にこだわり持ち歩き、その知識を使って喧嘩したり他人や子供を常識などで押さえ付けたり間違った考えなどを叩き込んだりする。
ワシ、子供の頃、ちょいと知ったかぶりの年上のそんな知識に出くわし、何も言われたくないんで同じ立場になろうとするが、大人と同じように勉強して知識蓄えてたらいつまでたっても大人には追いつけない。
そこで、頭は子供で天真爛漫・空っぽだから、早々と知識と同じウンコ持ち歩いていたのかもしれない。
よし、これで僕は大丈夫だもん、ってね。
普通の普段の子供なんて、大人にいいたいこといわれ言いくるめられ黙って耐えて、大人になったら自分も好き放題やるんだ、早く大人になりたい、などと思って同じような大人になって、またくり返して子供の純粋を知識で踏みにじる。
しかし、僕は、もう、子供だけど、知識を持ってるんだもん。
新聞紙に包んだウンコがズボンの右のポケットに入っていて右手でそれを握っている。
僕は大人が持っている古いガビガビした知識なんかより、さっき出たばかりの新鮮なまだだれも知らない知識(ウンコ)を持っているんだぞ〜強いんだぞ〜
だから、何をいわれても、僕は自分の知識(ウンコ)をバカな大人みたいにひけらかすこともなく堂々としていた。
右手にしっかりつかまれたウンコは、モチモチしていて程よいぬくもりをしていた。
‥でも、持っているのは一日だけで、大人と違ってその日のうちに捨てたもんね。


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