1月31日 (水) [1838] 吉日16
VERY FINE そこで招き猫というものは何か?軽く考えてみる事にした。「日本では福を招くといわれている物」ナンバーワンの縁起物だ。縁起物の意味は「よい事があるように祝い祈る品物」。軽い呪術物だ。つまり西洋では招き猫は日本の土産物としての価値はあるが思想的には切り捨てるべきものになる。今の科学の時代にそんなものはほとんど価値などない。 ところがこの科学の時代にも文明国においてさえ縁起的精神は巷に溢れている。例えば「思えば叶う」とか「運が良かった」など。これらなどは全然確実性がない話だ。また「失恋して、その思い出の品を焼く」などというのは、神社の御焚き上げや密教の護摩の要素がある。つまり物に自分の精神を移してその物を焼く事によって煩悩を焼き自己の精神を浄化する。精神上においてはどこの国にしろ前近代的を捨て切れてないわけだ。ここに縁起物招き猫の重要性が出てくる。しかし、それ以上は求めない。それ以上を求めたり追求したりしても東西の壁は崩れない。前近代的呪術的縁起物偶像崇拝を捨てたい側と捨てたくない側、反って強固になるだけだろう。東洋は神も霊魂も偶像崇拝も呪術も縁起物も祈願も全て抱え込む。そこで軽くまとめて、招き猫とは「日本では」というところを省く程度にして。 招き猫とは「福を招くといわれている物」です。
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1月30日 (火) [1837] 吉日15
FINE こんな思いが内部にあったものだから国外それもアメリカで個展という課題は内面を大きく広げ大統一作品を極めなければという思いを燃え上がらせる要因になった。 西洋は大きく宗教と科学に分け科学の中にある呪術や民間信仰、偶像崇拝、迷信、原始的、前近代的、時代遅れは切り捨て純粋を求め発展した。 東洋は宗教も科学も呪術も抱え込んだ。それぞれが絡み合って繋がっている。家を建てるのに木や石やガラスなどいろんなものが必要なのと同じで、なにか一つが大切なのではなく全部がそれぞれに絡み合ってバランスや美を保つ。一つ一つを純粋化してゆく。純粋な大風呂敷ってことかな。バラバラになったものを一体化する為には前近代的な呪術だろうと捨てられないものなわけだ。縁起物も‥
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1月29日 (月) [1836] 吉日14
CLOUDY また猫は癒しや和みという性質を持ってるので、そこからバラバラな世界を補修し意識を国境のない世界に広げる要素もある。しかし、それは逆で猫は癒し和み観念の一例であり一部分に過ぎないのだ。その猫のまた一部が招き猫なのだ。そんな事も考察した。猫はこの地上に生まれ、なぜか紀元前2000年も前にエジプトでは猫の神バトス神となり、神的要素を持ちながら地球上に広がった。しかし西洋思想は異質なものは切り捨て純粋なものだけを残して育てる傾向がある。そのせいでキリスト教の拡大に伴い民間信仰の猫は魔女などと結び付けられ怖れられたり虐殺された。東洋思想はなんでもかんでも抱え込んでそれらを捨てずに体系化・純粋化してゆく傾向がある。そのおかげで日本では招き猫という民間信仰になった。東西の見えない壁がここにある。特異な文化としてはかなり濃密で研究対象になるが、大統一を進めてゆく上では弱い。
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1月28日 (日) [1835] 吉日13
FINE 外国といえば、一昨年、招き猫祭りの一環に自分も参加してフランス・イタリアで作品を発表した。正直、弱いと感じた。弱いというのは説得できない、つまりは通用しないという事だ。なぜなら招き猫は日本の文化であり、日本全国に広がってはいるが、民芸品だ。民間信仰としての縁起物。日本人ならそれを生活様式として取り入れ招き猫という作品を超えて楽しめる。民芸品というだけでなく「福を招く」という呪術的付加価値がついている。しかし、外国人から見れば招き猫はアジアのどこか小さな国の民芸品だろう。アジアの旅先でちょいと買う程度の土産物である。ちんちんしている犬の置き物と変わりはない。それでは招き猫の持っている存在理由の一部分だけだ。他の楽しみの価値が伝わらない。ただの異文化交流だ。それはそれでいいだろう。その方向性は日本文化という器の大きさに応じてじわじわと広がってゆく可能性がある。日本文化に便乗する。歌舞伎や和服のように‥ 何かスッキリしない。それは国境だろう。つまり自分の中に国境があるんだ。ジョン・レノンのイマジンの歌詞にも「想像してごらん 国なんてない」ってのがある。想像するまでない、本当にない。ならば国がないというものを創造しなきゃぁ。まずは自分の中の国境を除去しなきゃぁ。国境がないってことを作品で達成しなきゃぁ。達成しなければ祈願達成などのお札を作る資格などないだろう。
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1月27日 (土) [1834] 吉日12
FINE アメリカでは20年前に、まだ自分が粘土で猫などをやる前のペインティング時代に作品を発表した。あそこは人も土地も善悪ひっくるめてパワーのある国だ。その時は新聞に出たり売れたりはしたが、はっきりいって何もならなかった。その場限りで終わった。ただ自分の経歴に目立った1行が増えただけだ。いろいろ勉強にはなったが、何も示せなかった。たいした満足はない。それより日本人としてのオリジナリティ、マイノリティ、人種差別というものを感じた。帰国し将来の希望もなくどん底に落ちたが、5年後、神は見放さなかったのか偶然にも運良く招き猫で復活した。今度はあの国で同じ気分は味わわない。自分の中のアメリカ人だけでなく外国人を説得しなければならないわけだ。もちろんそれは言葉ではない。作品を一目見てだ。理論物理学の大統一理論ならぬ自分なりの大統一自分作品が必要なのだろう。
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