10月31日 (水) [2098] 自我の境地48
私の仕事は芸術家などではない。 そんな現代のお山の頂上にはいない。 現代などに興味はない。 もちろん過去も未来も興味はない。 過去は幻だし未来は幻が見た夢だ。 現在はただただ騒がしい。 私は山の下の方にもいれば山の上の空にもいる。 いないといえばどこにもいない。 空気のようなもので、その辺りでぶらぶらしている酔っぱらいに近い。 酔っぱらっているように朗らかだが、酒に酔っているわけではない。 酔ってハイになればいつかはダウンする。 そんな無駄な運動はしない。 いい呼吸をしているだけだ。 天才は静かな呼吸を知っている。 静寂を恐れない。 静寂から逃れ騒々しい中で自分を失い酩酊する。 そんなバカが自分は面白いと勘違いする。 孤独から逃げているだけだ。 私は全体だ。
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10月30日 (火) [2097] 自我の境地47
私は全体だから差別はしない。 差別に対して無分別の言葉は使うけど。 差別は部分のやる事だ。 部分は全体になりたくて他の部分を排除もしくは差別する。 差別は世間を狭く、せこく生きることだ。 部分だからね。 私は全体だ。 私は広くおおらかに生きる。
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10月29日 (月) [2096] 自我の境地46
私は悟っているから他人の悪口など言わない。 気づかせ毒舌はたまに言う。 悪口を言うのは迷う人や凡人で他人をうらやましいからである。 私は何もうらやましいことなどない。 なぜなら本当に美しい天職を持っているからだ。 これ以外にうらやましいことなどあるだろうか。 あなたは私をうらやましがる必要はない。 私は全体だ。 私は宇宙だ。 宇宙をうらやましいとは思わないだろう。
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10月28日 (日) [2095] 自我の境地45
人はあこがれの職種や金になる職種に向かおうとするが、そんなものは天職ではない。 ただ威張っている職種だったりする。 弱虫が騙されてこぞって向かうものだから狭き門となり、バカはたまたまそんな職が手に入ると偉ぶる。 無垢な心に威張りが移り高慢バカに変身してしまう。 これこそ悪魔に身を売るようなものだ。 なんでもない些細な今にも消えそうだった招き猫分野を神の位まで育てるような私の仕事こそ天職なのだ。 招き猫分野もたぐいまれなるものだから狭き門だが、高慢に向かう狭き門ではなく、謙虚に向かう門だ。 同じ門だが、狭苦しい込み入った部屋に入る門と、そんな部屋から外に出る門との違いがある。 私は門を開け大空を見る。
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10月27日 (土) [2094] 自我の境地44
私は山の頂上など目指さない。 誰よりも上に立とうなどとしない。 そんなところはどうせみんなが憧れるようなところであってただの罠だ。 部分だ。 私は全体だ。 中心もあれば周辺もある。 上もあれば下もある右もあれば左もある。 私の周りには全てがそろっている。 何も知らんバカが上から「早く上ってこい上はすごいぞ」と威張る。 何も知らん弱虫が下から「変わったね」とアホなことぬかす。 何も知らん寂しがり屋が右から「一緒だ」と甘える。 何も知らん悪が左から「一発当てよう」といきがる。 私は中心だ。 どこにも偏らない。 どこにも偏れない。 全体だから。
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