10月31日 (日) [3198] 公美堂30
「だれにも言うわけがないでしょう。何を言っているのですか、高野さん」と僕はことさらに嘘っぽく言う。完全な嘘表現をする。わざとらしいバレバレの嘘をつく。これは嘘つきではない。本当の嘘つきはバレまいとする。それはつまらない。本当の嘘をつくとそれを裏切った時の反動や反感が面倒くさい。だから真実味のかけらもない表情と声色で「だれにも言うわけがないっしょ」と言う。この言葉を嘘つきだと言うヤツがいたら、それは笑いやアートを解さないつまらんヤツだと思う。友達を選ぶ時はこういう笑いやアートを解すやつでないとね。
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10月30日 (土) [3197] オタマジャクシ4
ボウフラにありつけなかった惨めなオタマはなんとかギリ貧で生き続けたのだろう。水入れ石にいたオタマ三匹のうち一匹がカエルになった。これがカエル? と疑う程小さなカエルだった。栄養不足のままどうにか大人になったのだ。ところが、次の日、水入れ石の縁を飛び越えられなかったのだろう、他のオタマに食われ骨だけになっていた。
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10月29日 (金) [3196] 公美堂29
「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや‥‥」で始まる悪人正機説の内容を簡単に訳して言いますね。なかなか鋭い事仰っているからじっくり読んでね。では。 「善人ですら天国に行ける。ましてや悪人はなおさらだ。ところが世間の人々は、悪人ですら天国に行けるって言うなら、善人はなおさらだ、と言う。この考え方は、一応もっともなようだが、阿弥陀仏の本願他力ではない。そのわけは、自分の力で善行功徳を積んで天国へ行くと思っている善人は、阿弥陀如来にお任せするという気持ちのない人だから、阿弥陀様の気持ちと違う。けれども、そういう人も、自力の心を改めて、阿弥陀仏の本願他力にお任せするなら、本願力のパワーによって真実の悟りの境界である天国つまり浄土に行ける。あらゆる煩悩を身にそなえている我らは、どんな修行によっても、生死の迷いから離れることができない。そのような者を憐れんで、助けようという願いをおこされたのが阿弥陀仏ですから、阿弥陀様にお任せするのが天国浄土への正しい道であって、自力の善をあてにする善人よりも、本願に任せている悪人こそがご本願の目当ての人なのだ。それゆえ、善人ですら天国に行けるんだったら悪人はなおさらのことだよ」と。
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10月28日 (木) [3195] オタマジャクシ3
アオガエルの子が玄関側のオタマだ。玄関は北にある。ここは玄関だけど、ほんの数時間ライトを点けるだけ。それも仄かな30W程度の裸電球。それに他の家並みから外れているから町の明かりも届かない、真っ暗だ。月も出ない夜、自分ちの灯りを全部消したら家がどこにあるか見えない。だからカエルのエサになるような蚊になるボウフラもほんの一握りしかいない。それ程過酷な食環境にも関わらず数十匹いたオタマはほとんどが夏の間少ないボウフラ食べてカエルになって出て行った。
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10月27日 (水) [3194] 公美堂28
話しを聞かせてもらえる醍醐味を味わうことができるなら平然と友人の振りをしなければならない。しかし僕は金持ちのガキからお金を貰って友達の振りができるような腐った神経の嘘つきではない。かといって真面目一方のバカ正直でもない。バカ正直は天で神様が見ているかもしれないから正直に言う事で救われると信じている。つまり正直に言う事よりも自分が救われる事に比重を置いているわけだ。神様にゴマするような偽善者ってことだ。親鸞の『歎異抄』にある「悪人正機」ですな。
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