7月31日 (火) [2019] 無我の境地11
CLOUDY エゴというのは簡単にいうと嘘または牢獄とでも言おうか。 自分で自分を騙して縛っているということだね。 尻の穴には無知という牢獄。 性器には愛欲という牢獄。 へそには拝金主義という牢獄。 胸には偽善的な愛という牢獄。 のどには詭弁や嘘、悪口、愚痴などの牢獄。 額には知識で頭でっかちの牢獄。 脳天は神秘主義という牢獄。 人はこれらの牢獄に身を委ね頼ってしまう。 牢獄に依存しているわけだ。 この間のダライ・ラマの言葉「依存は不在」を思い出す(絵日記7/26)。 これらの牢獄は不在、つまり存在しないということだ。 幻なわけです。 幻だから、満足はない。
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7月30日 (月) [2018] 無我の境地10
rain 大地からのエネルギーは尻の穴を通り性器、へそ、胸、のど、額、脳天まで視野を広げながら上がってきた。 それぞれのポイントに目立った自我、エゴがある。 尻の穴は肉体主義エゴ。 性器は自己継続エゴ。 へその腹は権力志向エゴ。 胸は自己拡張しよとするエゴ。 のどは自己イメージ作りのエゴ。 額の頭脳は観念を集めた理性理論エゴ。 脳天は夢想家達成なりたいエゴ。 これらのエゴに捕われずに通り過ぎれば最も視野の広い無我が顔を出す。 歩いた後に花が咲くような…
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7月29日 (日) [2017] 無我の境地9
FINE,THUNDERSTORM LATER 額の上に頭のてっぺん、脳天がある。 今日の天候は脳天の上で雷鳴が轟き、稲妻が光る。 脳天、ここはもう体の最頭頂部。 もうすぐ人体から離れるような位置なので、離れてしまえば、視野は東西南北上下左右、四方八方に広がる。 希望、夢、達成などの観念と通じる。 芸術を志すのはここに位置する。 ただ、私的な憧れというエゴがあり夢を見て現実逃避や妄想癖がおこる。 大地から入ったエネルギーは尻の穴、性器、へそ、胸、のど、額を通り、脳天ここから抜ければ無我の境地である。 芸術家や神秘主義、夢想家にも捕われないでね。 しかし、この部位にある脳の中の神経中枢、大威張りの自我の大本、大脳皮質が足を引っ張る。
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7月28日 (土) [2016] 無我の境地8
FINE のどの上には額がある。 第三の目というのはここだ。 かなり高い位置だ。 目より高い位置だから見えた物が見たままではなく感覚や意味が含まれ見える。 この位置の内部には脳がある。 ものは頭脳で考えるからこれ以上高いところはないように思う。 知識が最も優越感を持つのはそのせいだ。 頭脳だけで諸事を見るところがあるので情感がなく冷めていて知識に騙し騙される。 頭脳という法で支配する。 論争や個人主義が主流になっているため理不尽な争いが絶え間ないどうする事もできない状況に陥ってしまう。 近代文明を支えている学者とか科学者はここに位置する。 しかし、この上は見えない。 頭脳は上にも行けない、下に行くことは劣等と思う。 この八方ふさがりの状態が現代だろう。
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7月27日 (金) [2015] 無我の境地7
FINE 胸の上にのどがある。 ここはしゃべるところだ。 胸の位置より高いので視野は胸より広い。 言葉は心より広い。 …心あっての言葉だけどね。 言葉を自由に使いこなし喜びや幸せなどを与えることができる。 だが、ほめられたいから自慢話や嘘などを言う。 宗教的聖人を作りもするが、嘘つき詐欺師や犯罪者なども作ってしまう位置である。 このレベルでは言葉にできる本当の事などないのに本当の事が言えると信じている。 聞くのは他人だし耳なのに。 『誕生日』展で月日が入った366点の作品の中から自分の誕生日を探すのだが、思ったより長い時間を労する。 目は見ているようで脳は全部を見てるわけでもない。 同じように全部を言えるわけでもなく全部を聞けるわけでもない。 この位置は尻の穴から上がってきて「私は…」という言葉を使うわけだから、身勝手を含みます。 ある種のエゴです。 まだまだ無我には遠い。
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