7月31日 (木) [2372] 家猫30
建築ユジ君、説明筋を鍛えている時期だが、なかなか頼りがいがある。 しっかり意思を伝える若者で安心しました。 それに勉強熱心、東京に来たものだから昔の建築家村野藤吾の作品を2件程見るらしい。 ワシなど美術にしろ建築にしろわざわざ見に出かけたことなどあるだろうか? ガウディにしろブリューゲルにしろ知りもしないで歩いてたらぶつかってショック受けただけだ。
頭の知らないものに出会うのがいい。
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7月30日 (水) [2371] 家猫29
昨日今日と二日間、設計図面などを依頼している山形からやってきたユジ君と打ち合わせした。 久しぶりに芸術に付いて語ったから面白かった。 でも新分野の説明を聞くので疲れちゃった。 ワシ、もの買っても説明書は読まない、読めない、読みたくないタイプ。 読んでいるとめまいがしてくる。 若い頃はいろいろ説明しなければならないことが多くて脳も顔も説明筋が働いていた。 ところがある時、説明筋は顔の表現をこわばらせることに気付いた。 もちろん脳も堅くなっていたのだろう。 で、説明をやめた時から脳も顔も自由になってアメーバになった。 しかし、アメーバでは自分がどんな形なのか分からなくなる。 浮遊は楽しいが、ワシャ、アメーバにもクラゲにもなりたかねぇ。
運良く猫に変態したからよかったものの。
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7月29日 (火) [2370] 家猫28
初めてガウディのグエルパークのトカゲを見た時、なにかすごい感動があったことを思い出した。 公園や建築などというものは具体的な造形物ではつまらん裸婦像や母子像などしか記憶に無い。 だから具体的な造形はつまらないと一概に決めつけていた。 そのせいか、抽象のオブジェが多くなり、それが当たり前になってしまった。 そんな既成概念いっぱいの若い身空がモザイクの不気味なトカゲを見たものだから、飛んでしまった。 若い頃は、既成概念を超えたものを見ると、気持ちよかった。 今は何でもないモザイクのトカゲでも。
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7月28日 (月) [2369] 家猫27
建築を傍から眺める視点が大切だったんだろうな。 建築の中にいる建築家はいつの間にか専門に長けてはまり込んでしまいある意味で盲人だ。 ブリューゲルの「盲人の比喩」のように穴に落ちてしまう。 僕はちょうどいい。 30年近く建築なんかとんと忘れていたからね。 だからこそ、なんとかなるだろう。
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7月27日 (日) [2368] 家猫26
亀の名前だがゆっくり君にした筈だったが、呼ぶたびに変な躊躇があるんで、元の「カメ!」に戻った。 カメ!、手渡しのバナナしか食わない臆病でスゥィートな可愛い亀と思っていた。 が、カメ!この間庭でミミズを食っているのを発見。 ゲッ!カメ!大人じゃん。 大人の味を覚えてしまったせいか手渡しのバナナをあんまし食わない。 俺、カメ!一人で生きていけるもん。 しかし、最近、庭でミミズを食っている姿も見ない。 大人ぶって意地張っていて餓死する気だろうか? ところが、なんと! 猫のエサのカリカリを美味そうにパクパク食ってる。 こんなえさ場を見つけていたんだ、カメ! 「家亀」という家を建てるのも考えとこう。 …関係ないが花輪和一の亀男は面白いよ。
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